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内田裕也 in Las Vegas!

 8月、どうしても見たかった「Love」(ビートルズの音楽を題材にしたシルクドソレイユのショー)を見るため、ラスベガスに飛んだ!
 湯川れい子さんに誘われて、本当はオープニングに行きたかったのだが、仕事の都合で行けなかった。
 7月のオープニングには、ポール・マッカートニー、リンゴ・スター、故ジョージ・ハリスン夫人、ジュリアン・レノン、ショーン・レノン、オノ・ヨーコさんたちビートルズファミリー全員が本当に久しぶりに一堂に会した!
 6年ほど前に、「O(オー)」を見て以来、シルク・ドソレイユには注目していた。
 「Love」は、ラスベガスのホテル・ミラージュで行われたのだが、全編ビートルズの曲で、目の前にビートルズが復活したような感覚におそわれた。すごく感動した。チケットがなかなかとれなかったのだが、無理をして2回見た。
 プログラムでオノ・ヨーコさんが、ビートルズはBrain、シルクドソレイユはBodyだとコメントしていた。関係者の話によると、この数年仲の悪かったポール・マッカートニーとヨーコさんが、オープニングのパーティでなんとチークダンスを踊ったとのこと。よかった!よかった!ポールは離婚裁判中で、ビートルズの解散の時のトラブルも忘れてのチークダンスだったと思う。ジョン・レノンも苦笑したことだろう。
 その後、シルク・ド・ソレイユの「O(オー)」をホテル・ベラージオで、「KA(カー)」をMGMグランド・ホテルで観劇し、世界最高のセンスと、テクニックを持つシルクドソレイユの偉大さを改めて感じた。日本のショービジネスの甘さを考えさせられた。そして、2回目の「Love」。一緒に歌っていた。
ラスベガスは大きく変わった。すげぇ!
 ロスに戻って、ホテルに荷物を預け、サンフランシスコに向かった。
 1970年代、プロモーターであり、オピニオン・リーダーでもあった、ビル・グラハムを彼のオフィスに訪ねた。目的は、当時インパクトを受けたジェファーソン・エアプレインを日本に呼ぶことだった。ビル・グラハムは、ニューヨークでフィルモア・イースト、サンフランシスコで、フィルモア・ウェスト、2つのコンサートホールを経営し、歴史に残るロックの発信基地として、ビッグ・パワーを持っていた。
 俺は、当時、フィルモア・ウェストで、チャック・ベリーのステージを見て、興奮したのを覚えている。
 後に、クリエイションのオーストラリアツアーを、現ユニバーサルCEOの石坂敬一氏と俺とがサポートに回り、共演バンドに、サンタナ、フリートウッド・マック、リトル・リバー・バンド、ニュージーランドのバンドとジョイントし、一大ツアーを敢行した。パースから始まり、メルボルン、シドニー、ブリスベン、ニューキャッスルと5ヶ所、7〜8万人単位のオーディエンスを前に、クリエイションは健闘したが、日本では例によってニューミュージック旋風が吹き荒れ、ほとんど報道されなかった。このとき、ビル・グラハムとも数年ぶりに再会した。(ビル・グラハムはサンタナを発掘したことでも知られている)。
 時が経ち、ビル・グラハムはフランシス・フォード・コッポラ監督の「地獄の黙示録」にも出演。アメリカでのロック・シーンを常にリードしていた。数年前、ビル・グラハムはヘリコプター事故で亡くなった。この写真は、サンフランシスコ、シティ・ホールの隣に彼の名を冠して建てられたBILL GRAHAM CIVIC AUDITORIUMの前で撮った。
 グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシア、サンフランシスコのロック・ミュージシャンの像が埋め込まれた入り口で手を合わせてきた。
 僅か3日間のサンフランシスコ滞在だったが、もう一つの目的は、マイケル・ダグラス、高倉健、アンディ・ガルシア、松田優作と共演した、リドリー・スコット監督作品「ブラック・レイン」のロケ地NAPAを訪れることだった。俺はその前に、マイケル・ダグラスに撃ち殺されていたが、今、病床にある安岡力也は、存在感を見せつけていた。
 NAPAは、SONOMAとともに、カリフォルニアワインのワイナリーとして、世界的に有名な場所だ。コッポラ監督もワイナリーを所有している。
 観光ツアーに便乗し、サンフランシスコ市内からアルカトラス島を右に見ながら、ゴールデンゲートを渡り、NAPAへ向かった。
 ここで、マイケル・ダグラスと松田優作氏との、クライマックスシーンが撮影されたと感慨に浸った。
 あっという間のサンフランシスコ滞在。ロスに帰って、その変化に驚いた。まず地下鉄が市内を網羅している。ロサンゼルスにサブウェイ、15〜6年前には、およびもつかなかった。さらにチャイニーズシアターの裏に、あのアカデミー賞の授賞式が行われるショッピングモール・ホテルができ、ハリウッド・ブルバードは大きく変化していた。2年前に渡辺謙と俺の古くからの友人、川村龍夫氏が座った、あのコダックシアターのステージから向かって左端の2席に座ってきた。残念ながら写真は撮れなかった。松田優作亡き後、渡辺謙はよくがんばった。誇りに思う!
 ハリウッド・ブルバードには、今年末に上映されるクリント・イーストウッド監督の「FLAGS OF OUR FATHERS」の超巨大ボードが立っていた。最後にコダック・シアターのステージに立って、ここにあのスターたちが緊張して立っていたんだな!と、不思議に冷静だった。
 5日間の滞在の最終日、あの『コミック雑誌なんかいらない!』が4週間にわたって上映されたBEVERLY CENTER 13に行った。
 メルローズや、ハリウッド・ブルバードに俺のポスターが6枚ずつ貼られていた。
 この劇場の従業員が、「素晴らしい映画だった、サインを下さい」と言ってポスターを持ってきたのを思い出す。
以外とすげぇことやって来てるのになぁと思いながら、映画館の前で、「必ずもう一度、俺のオリジナル作品をひっさげてここに戻って来る」とつぶやいた。
 ラスベガスからロスへ向かう飛行場では、前日、ロンドンでのテロリストの逮捕を受け、1万人の人々がチェックインを待ち、4時間もかかって機内に入った。今、世界は戦争のまっただ中だと実感した。
ロックは一体、何をできるのだろう。と自問自答しながら、帰国の途に着いた。
7年ぶりのLA、ラスベガス、サンフランシスコ。
俺に、1970年代に持っていたパワーを蘇らせてくれた。

 ガタガタ言わねぇで、内田裕也は、ヤル!

Rock'n'Roll!!

P.S.「Love」は、ぜひ見て欲しい。多くの人々に!

おまけ
当時、レコード会社や映画会社のアポイントを取るために、金もないのに、泊まっていたビバリーウィルシャーホテル(プリティウーマンの舞台にもなった)のバーで。
回りの外人はどこの国から来た野郎だと言った目つきで、俺のことを見ていた。

P.S. P.S.
俺もオノ・ヨーコさんと踊ったことがある!!


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